
調味料開発者
じゅうねんタレ開発者。義理の母から受け継いだ早女川食堂を切り盛りして50年。腕を買われ商工会女性部で調味料開発を取り仕切ることに。うつくしま未来博をきっかけに、じゅうねんタレを商品化。以来ドレッシング、唐辛子など、エゴマを使った調味料を開発している。趣味は俳句。

苦情というよりは発展的な意見
商品できるまではいろいろありましたよ
じゅうねんタレの辛口っていうのやってるんですけど、お客様から辛すぎるって直接お電話頂いて、もうほんと申し訳ないっていうことで
私にとっては苦情というよりは発展的な皆さんからの意見で、そういう意見をいただいて、商品ができてきたと思っています




カレーそば、凝っちゃってて
今凝ってるのはカレーそば
夏はカレー食べた方がいいの、もういろんな栄養が入ってますから
ナスを入れたり、カボチャを入れたり、夏野菜いっぱい入れてつくるから私のカレーおいしいよ(笑)食べっかい?




奥の鮫川文芸クラブ
趣味で俳句やってるんだけどね、駄句ばっかだよ
昭和19年から続いている
奥の鮫川文芸クラブってあって
うちの父がそのクラブをやっていて
年4回冊子を出すんですよね
嫁にきた時ガリ版で冊子つくるのを手伝って、
ああ、俳句って面白いんだな、なんて思って
今度ね200号を記念して、記念誌を作ったんですよ
ちょっと持って来ますね
朝食終わったら必ず朝ドラ
朝食終わったらね、私はねテレビを観ます
7時15分から45分まで朝ドラを観て
その後15分山があるんですよね
百名山とかね、あれを観ます
山が好きなもんですから
良かったですよ、「あぐり」
昭和11年頃の話ですね
多分古い話だよね「あぐり」は
その後は「おかえりモネ」で、気象予報士の話
面白いよね
※お弁当・おかずの仕込み
※じゅうねんタレ製造
※翌日の仕込み


舌の利くのを
集めてつくったんです
舌の利くのを
集めてつくったんです
私が商工会の女性部長の時に
未来博があったんですね、須賀川で
何か商品さ出さなきゃなんねんだべって
鮫川っていうのはじゅうねん(エゴマ)が採れて
エゴマのタレをつけて和えものを食べる
習慣があったもんで、それを商品にしようてことで
何人か舌の利くのを集めてつくりだしたんですよ
毎日仕事終わると、商工会行って
ガータガタガタガタみんなでやって
それで、できた商品がこのじゅうねんタレなんです
父に教わった秘伝のタレ
父に教わった秘伝のタレ
私が嫁いできた時に、義理の父が教えてくれたんです
カツ丼のタレとラーメンのタレのつくり方を
カツ丼のつくり方も即私に教えてくれて
うちのお店を切り盛りしてたのは義理の母だったんですけど
タレをつくったのは父だったんですね
だから父に教わった秘伝のタレです
でも、当時ちょっと、しょっぱかったんだよね
だからそこは私流に変えました
上までは登らないでしょ?
登る?160段あるよ?
上までは登らないでしょ?
登る?160段あるよ?
ここはね八幡神社っていって、
結構古い神社なんですよ
私の散歩コースだけど、登る?
この階段は大変だよ
ああ、登れた、よかったあ
こうやって八幡神社に登ってね
今日も登れたって感謝するの
登れなくなったらダメだと思ってるから
でも今日も登れたから大丈夫
狛犬や
樹下にうもれる
苔の花
狛犬や
樹下にうもれる
苔の花
昨日、ここで思いついた句
この狛犬見たら思い出した
考えて詠むよりは、ひらめきみたいなのが
ぱらーときたのがいいんだけどね
私なんかね帰るまでに忘れちゃう
メモを持って歩けばいいんだけどね
忘れたらなかなか思い出せなくて
またその場所に行くしかないんですよ
ここは鮫川だけど
うちは早女川
おすすめはカツ丼とかねそうだね
昔からカツ丼はおすすめで、あとはタンメンが喜ばれます
食堂は早女川でさめがわ。うちの父って文芸に長けてた人だったので、女の人がやってんだから早くて川って書けば、さめがわだって言ってね
だから、これまで男性1回も入ったことないの調理場に、女の人ばっかり
ここは鮫川だけど
うちは早女川
そういえばそうですね
タレづくりっていうのは、カツ丼やラーメンでやってたからね
タレのことは知ってはいましたからね
だからじゅうねんタレの商品化できたんだね、あんまり考えたことなかったけど
そう言われればそうですね
そういえばそうですね
なんでも屋さんに
お願いして
ここは元々パン屋さんで、もう福島県でもすごい人気があったわけだね
今はこの場所をお借りして、タレや七味や調味料をつくってるんです
これ、タレを容器に詰めるためにつくってもらったの
なんでも屋さんっていうのがいてね(笑)
相談してつくってくださいって
お鍋の下に穴開けて、スタンドもつくって
すごいでしょ?
でも、本当にどうしたらいいか悩んだんですよ
前は、漏斗で一本一本入れて、それが本当に辛かったんですよ
手作業何人いたって足りない
キャップもね金槌で叩いて手作業でしたから
現場で工夫してここまで到達するには
長い道のりでした
じゅうねん長生き
できるから
この辺は山間でしょ
イノシシとかそういう悪さするのもいるじゃないですか、エゴマはね獣よけになってたの
畑の隅っこの方にね作るんですよそうイノシシとか入ってこないように
じゅうねんっていうのは方言なんですよね
どうして、じゅうねんかっていうと
これを食べれば10年長生きできるっていうのが根底にあるんです
それだけ栄養があるってことですね
でも今このあたり農家さんが減ってて
だから合同会社になってからはエゴマの増産をお願いして、春になると種を配ったりという活動をしてます
若い人たちに作ってもらいたいなあ
お母さんには
勝てないですね
食堂はうちの義理の母がやってて
すごいお客さんの接待の上手な人でね、粗末に絶対しないし、どんなお客さんでも丁寧に扱うし
素晴らしいですよ、もう感心しました。お母さんには勝てないですね
あんまりそばに行かないで
くしゃみ出るよ
明日袋に入れるエゴマ入りの七味、仕込みで混ぜてあるんですよ
私なんかもうマスクくしてても鼻にツーンと
緑のはアオサ、黒のエゴマと白のエゴマ、唐辛子とまぜて
唐辛子も鷹の爪から砕いて。その砕くのが大変で、このぐらいずつしか砕けないんですよ、顔中ひりひり
お盆に帰れば、ひやだれうどん
鮫川の名物ですね
夏になるとひやだれうどんを食べて、それが最高美味しかった
お盆に帰って来ればどなたの家でもやってたんじゃないかな
大根おろして、大葉とか入れるともう最高美味しいですよ
そのタレを商品にしようっていうのがきっかけだったんです
プロフィール

特産さめがわ合同会社 / 調味料づくり
斎須 信子(さいす のぶこ)
じゅうねんタレ開発者。義理の母から受け継いだ早女川食堂を切り盛りして50年。
腕を買われ商工会女性部で調味料開発を取り仕切ることに。
うつくしま未来博をきっかけに、じゅうねんタレを商品化。
以来ドレッシング、唐辛子など、エゴマを使った調味料を開発している。
趣味は俳句。

